ゆとり世代哲学者の憂鬱

ゆとり世代に生まれた苦悩を哲学者の力を借りて解決していく。

哲学者の基本事項

夜運転で緊張のあまりに逆走してしまって対向車とぶつかりかけた哲学者です。初心者なんや…すまんかったな。明日は気を付けよ。

 

えー。哲学者の基本事項というわけですが、皆さんはなんだと思います?

アリストテレスに習って鬼のような妻?

ニーチェがそうだったように童貞?

大体の哲学者がそうだったようにインテリ貴族じゃなきゃダメ?

 

間違いではないですが、完全な正解でもないと感じます。

ではなんなのか。興味はなくても気にはなるでしょう(なってくれ)?

 

僕が思うに、哲学者には強烈な想像力があるのではないかと思うのです。

 

例えば、誰かが「昨日の出来事」と「一昨日の出来事」を混同して「私」に話したとします。「私」は両方知っているので二つの話が「いつの出来事」か知っています。

普通の人ならば、「昨日の出来事と一昨日の出来事が混ざってるなぁ。」で終わりです。これすらも思わないかもしれません。

しかし、哲学者は違います。

哲学者は、

「あれ?昨日の出来事と一昨日の出来事が混ざってるぞ?あれ?[昨日]は本当に[昨日]なのか?実は、[一昨日]だと私が思ってるのは[昨日]なんじゃないのか?イヤ、逆に[昨日]は[一昨日]なのかもしれないか?[昨日]が[昨日]である日付以外の証拠はなんだ?指の怪我か?これも[一昨日]のものかもしれない。そもそも、[一昨日]の前の日は何があった?存在しているか?確証はあるか…」

 

書きすぎましたorz。

まぁ、こんな風に、アリの涙のように小さなことを起点に、お釈迦様のらほつ(頭にのってるグルグル)ほどに大きな事を想像していくことこそが哲学者であり、哲学だと思うんですね。

この観点から言えば、大槻ケンヂも、さだまさしも、私も貴方も、空のミルク瓶にタンポポ挿すあいつも皆哲学者なんですよ多分。

 

P.S. 夜道の運転は気を付けましょう。そして、疲れてたら運転はしないようにしましょう。特に仕事帰りは気を付けましょう。

 

ファッキ●ー・現世

リセットもステ振り直しもできないクソゲー(人生)を血ヘド吐いてやってる哲学者です。

キーアイテムの車を手に入れたので、楽しい人生を送るのも可能だし、逆に今すぐクソゲーにエンディングを迎えさせられもします。特に山道をすっ飛ばす我が田舎では、その気になれば余裕でエンディングです。

もう少し継続すると、何か良いことあるかもなので、頑張ってみたいです。

しかし、今までいったい何人の人が、

「もう少しもう少し」

と騙されてきたのでしょうか?

いくら生きたって嫌なことの方が見えちゃうから結局良いことなんて増えないのに、結局人生負け越しなのに、なんのために、誰のためにやってるんでしょう?

結局、人は誰かのために生きなければ自我の存在すら固定化できないのかも…と、一人きりの我輩は最近思うのでした。

我が家族

私の生まれた家はいわゆる、機能不全家族なわけですが、まぁ、格別不幸かというとそうでもない。

イヤ、不幸ではあるが敢えて良い部分しか見ていないと言った方がいいかもしれない。

悪い部分に目を向ければ腐るほどある。

・時折被害妄想にとりつかれる父親

・一度ならず二度までも自分の子供を捨てた父親(私ではない)

・託卵かっこーの父親

・残った息子には顔がイライラするという理由だけで殴りかかる父親

・そんな父親に不満はあれど、何も言えない母。

・されるがままの私

 

良いところは、そんな機能不全家族なのに、未だに家族としての形を保ってしかも、段々立ち直ってるってところかな。

託卵された家族も今は結婚してるし、まぁ幸せかどうかは知らない。

僕ら家族は嫌われちゃったみたいだけどね(父親のせいで)。

幸せでいてほしいよ。ろくでもない親父のせいで人生の上半期は不幸だったろうけど、ここからは幸せになってほしい。

せっかく相手がくれた仲直りのチャンスを踏み潰しといてなんだけど、仲良くなりたかったなぁ。またうち来ねえかなぁ(無理)。

 

その親族の話は追々するとして、我が機能不全家族の素晴らしい話でした。

 

P.S.このチラ裏を見に来てくれる人が、一人二人いるんだけど、もしかしたら自分自身だったかもしれないよ…。

 

 

 

つくつくほーし

今日、何気なくベランダに立っていたら、つくつくほーしの鳴き声を聞きました。しかし、泣くのがド下手くそなやつで、

「つくつくほーし・つくつくほーし・つくつくほーし・つくつくほーし・つくほーし・つくほーし・つくほーし・つくほーし・ジー…」

と鳴かなければならないところを、

「つくつくほーし・つくつくほーし・つくつくほーし・つっくほっーし・つっくほっーし・つっくほっーしジジ…」

みたいな感じで、たどたどしく三回くらい鳴いていました。

セミの世界にも不器用な奴はいたんですね。

ノブレスオブリージュ

大した意味なくシビリアンコントロール(文民統制)とノブレスオブリージュ(貴族の責務)を繰り返し発言していたことのある哲学者です。

 

ノブレスオブリージュについて思ったことを書かせてください。

ノブレスオブリージュは簡単に言えば、

「金もってんだから社会に貢献しろ。」

なわけですが、それは金ではなく知恵についても発揮されると思うのです。

知恵があるものには知恵のないものを先導する役割があるってなわけで。それを実践しているのは、弁護士、科学者、政治家etc. etc.…

しかしですね、これは理想でしかないのです。弁護士にも種々様々な人がいて、科学者もまたしかり。

政治家に至っては知恵のあるものなどいないのではないでしょうか?

愚策に次ぐ愚策、失言に次ぐ失言…。

国民のため?関係ないね俺が楽しきゃそれでいい。力の向かう先が、国民ではなく自らの保身に向いているように感じるこの国では賢人による先導は求めないでいた方が良さそうです。

 

ではどうするか?

 

自らが賢人になるしかないでしょうね?しかし、考え方を右や左に極端化してはいけません。それは、賢人ではなく、信者だからです。

 

 

こんなこと書いといてなんですが、私はバカですから、引っ張って貰うしかありません。

しかし、「その方向は違うんでないの?」と御者である賢人に言える程度の頭は持っておきたいと思っています。

 

後ろ向きな前向きさ

後ろばかり向いていたら生きてはいけないという正論が大嫌いな哲学青年です。

インドだかどっかでは後ろ向きにしか未来を見られないらしいですね。

「未来は真っ暗で何がなんだかわからないから、まぁ、今までの道程参考にしていけばいいんじゃない?」

的な理由らしいですよ。

インドさんの話はおいておいても、やっぱり後ろ向きでいいと思う。ある程度諦めたり、悪い方への覚悟をしてたりしないと、ダメだったときに立ち上がれなくなっちゃう。

次のラウンドを戦うために、判定勝ちをするために後ろ向きに、弱気に生きていく。

勿論、超強い人は強気にガンガンいっていいと思うけど。

僕みたいに全てにおいて低スペック、あるいは平均みたいな人は長々戦っていかないとならないからね。

明日も頑張っていこうぜ!

現世は地獄か天国か?

保留荘の奴ら(知らない人はググってね)を読んで、最初の入りだけでほぼ全員のモチーフを言い当てた殺人鬼予備軍哲学青年です。

因みに、その最初の入りで読むのをやめました。

 

右を向いても左を向いても不幸不幸不幸。一生のうち幸せが1あったとしたら残り99999は不幸です。しかもその1つの幸せも、更なる不幸の余興でしかない事実。これよりひどい世界があると思います?私は思いません。

そう、この世界こそが地獄なんですよ。地獄。死ぬことは刑期満了と言ったところでしょうか?

刑期満了して死んだら、天国でも地獄でもない本来の現世に転生するんじゃないんですかね。

だって、不幸と幸せの比率がおかしいでしょ?しかも、無条件に幸せな人がいないよ?

金を持ってれば金に寄ってくるくそ虫どもや、失う恐怖と戦う不幸があり、金がないものは、明日喰うものに困り、毎日毎日やりくりに追われる不幸がある。

彼女持ちには他人同士である上の気持ちのすれ違いを悔やんだり、それに傷ついたり、彼女なしには劣等感と一抹の虚しさを感じる不幸がある。

学歴のあるものないもの、体重のあるものないもの、病気のもの健康なもの、子供とおとな、男と女とオナベとオカマとアセクシャル。良い家族悪い家族。先進国後進国

どの幸せのパターンも無条件に幸せではない。

だが、逆に無条件に不幸もいないのかもしれない。その場にいるだけで不幸とかはさすがにない(と思いたい)。

どちらにしてもこの世界以上にくそな世界があるのはイヤなのでこの世界が地獄だと思いたい(粉ミカン)。

どうであろうと早めに刑期満了したい。

今日の話に合った一曲を紹介です。

https://m.youtube.com/watch?v=o58zjQZY4JI

筋肉少女帯 蜘蛛の糸

 

「蜘蛛の糸が降りてきたら

僕は誰よりも早く昇ろう」

「蜘蛛の糸を昇って

いつの日にか

燃やして!

焼き尽くしてやる~!」