ゆとり世代哲学者の憂鬱

ゆとり世代に生まれた苦悩を哲学者の力を借りて解決していく。

ノブレスオブリージュ

大した意味なくシビリアンコントロール(文民統制)とノブレスオブリージュ(貴族の責務)を繰り返し発言していたことのある哲学者です。

 

ノブレスオブリージュについて思ったことを書かせてください。

ノブレスオブリージュは簡単に言えば、

「金もってんだから社会に貢献しろ。」

なわけですが、それは金ではなく知恵についても発揮されると思うのです。

知恵があるものには知恵のないものを先導する役割があるってなわけで。それを実践しているのは、弁護士、科学者、政治家etc. etc.…

しかしですね、これは理想でしかないのです。弁護士にも種々様々な人がいて、科学者もまたしかり。

政治家に至っては知恵のあるものなどいないのではないでしょうか?

愚策に次ぐ愚策、失言に次ぐ失言…。

国民のため?関係ないね俺が楽しきゃそれでいい。力の向かう先が、国民ではなく自らの保身に向いているように感じるこの国では賢人による先導は求めないでいた方が良さそうです。

 

ではどうするか?

 

自らが賢人になるしかないでしょうね?しかし、考え方を右や左に極端化してはいけません。それは、賢人ではなく、信者だからです。

 

 

こんなこと書いといてなんですが、私はバカですから、引っ張って貰うしかありません。

しかし、「その方向は違うんでないの?」と御者である賢人に言える程度の頭は持っておきたいと思っています。