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ゆとり世代哲学者の憂鬱

ゆとり世代に生まれた苦悩を哲学者の力を借りて解決していく。

脱線!脱線!また脱線!

さっき自分の人生を振り返るのがこのブログの目的だと書いたのに、もう考察に挑み始めてしまったおろかな私をお許しください。

 

皆さんは筋肉少女帯、略して筋少をしているだろうか。(知らない人は説明めんどいからウィキ見れ)

私は某笑顔の動画にて、某アイドルマスタァのMAD(と呼ぶにはあまりに神憑った至宝)をみて彼らにドはまりしてしまったわけだが、私の心に著しく響いた曲がある。

それは、ゴーゴー蟲娘である(私が唯一カラオケでうまく歌える歌でもある)。

考察を聞け(ギュワワーン)!

歌詞を見ていただくとわかるだろうがとてもネガティブである。筋少の歌はネガポジとでもいうようなある種の優しさがあるものだがこれにはない。皆無である。

本人も自らをくそだと認め、回りはそれ以上に彼女を下に下げて、「驕りやがってナルシスト!」とだめ押しまでいれていく始末である。これ程までに蔑まれても彼女は、「誰か私をここから連れ出して」と他力本願に生き続ける。

勿論個人差はあるだろうが、皆心に蟲娘の一人や二人いるのではないだろうか?

努力もしないでねだるだけねだり、反省等一ミリもせずに生きていく。多少思い悩んで自分を直そうかなと考えても、「どうせあたしなんて」と自らを卑下し、ある意味それを盾にして、だれかが救いの手を差し伸べてくれるのを待ち望む。

私には思い当たる節しかない。生きててすまん。死んでもすまん。どうしたら良いんだよ。

蟲娘と向き合って、黙らせて、他の普通の皆と笑って暮らしたい。でも、普通ってなんだよ(哲学)。