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ゆとり世代哲学者の憂鬱

ゆとり世代に生まれた苦悩を哲学者の力を借りて解決していく。

愛について本気だして考えてみた…

弁証法で。哲学青年です。

弁証法とは…。簡単に言うと、

「モノゴトは目標のためにいつも進化している。」

ということ。

例えるならば、

一つの計画に「A案」と「B案」があったが甲乙付けがたい。だから、いいとこだけ取った「C案」を作り出した。

と言うかたちになるだろうか。

今回はこれで「愛」について考えてみた…

のだが、

自称フェミニスト

現実を見ることができない頭がお花畑のメルヘン少女、

田嶋陽子

またはそれに迎合する女性崇拝者並びに男性廃絶論者

の方々には刺激が強いので見ないでください。

そしてこれは一個人の見解である。それでもよければ読んでくだちい。

 

まず第一に、弁証法で考えると愛の行く先はsexである。最終的な目的はそこにある。しかし、人は常に動いてなければ死ぬのである。

一回やったら終わりではなく、もう一回それに向けて動き出し始める。そう、日頃の何気ないラインも、デートも、プレゼントも、覚えていられるわけもないし、覚えていたくもない記念日を祝うのもすべてsexのためである。

しかし、そのうち、

女には「結婚」をゴールとする意識が、

男には「次の女との行為」をゴールとする意識が生まれる。

ここでお互いの意志がぶつかる。

ぶつかった結果どちらかが折れる(大体は男性が)。

ここからは、お互いにどうすれば幸せなのか、何が愛なのかをお互いに探しあっていく。

そして、なんやかんやして(実際筆者はここらで飽きてる)、老夫婦の、性的交渉を持たない愛へと昇華する。

愛は[カップル]から[家族]になる過程で全く別のものに変わっていることに気づく読者諸兄もいるだろう。

カップルは性行為が行き着く先だが、夫婦になるとそこではなく、愛と言う名前をつけるべき感情でも、それの行き着く先は[お互いの無垢なる幸せ]なのかもしれない。

 

「あのビデオではただのペニスとワギナの関係よ。獣の繁殖行動と変わらないわ。私が求めてるものとは違うのよ。」〜児童文学題名不詳より〜