ゆとり世代哲学者の憂鬱

ゆとり世代に生まれた苦悩を哲学者の力を借りて解決していく。

誰のために手にした武器だ?

口論と議論においてあまり負けたことがない自称ソフィストの哲学者です。

 

 僕は昔から「女の子みたい」と言われてきました。それは顔とかではなく、立ち居振る舞いや好むもの色々なことが要因となってですが。そんな私ですから親戚や同級生の父兄からわが母が受けたそしりは多大なものだったと思います。

そんな母が武器を取ったのは私が小学三年生の時。

二人でスーパーに買い物にいったとき、近所のオバサンに

「哲学者くんはいくつになっても女の子みたいだねぇ。お外でもあんまり遊んでないしねぇ(嘲笑)。」

と嫌味っぽく言われたんですね。

 そしたら母が

「この子は男の子ですけど?外に出たら男の子、家にいたら女の子ですか?」と一喝してくれたんですよね。

彼女は愛する家族のためにその「言葉」と呼ばれる武器を取りました。

一方守られた私は?

自分を守る為に、自分のチッポケなプライドの為に、あるいは、誰かを傷つけるために………。

そんなくだらない理由で「言葉」と言う武器を取りそして使い続けました。しかも使えば使うほど切れ味は増し、犠牲者は増えるばかり。

学校では[無口だけど、口を開くと説教か毒が出る気難しい人]と呼ばれ(知り合い談)、バイト先では[夜の部の番人]、[派遣辞めさせ屋]、[社員より怖いバイト](社員談)などと呼ばれる始末。

それでも大学生(成人)だから、多少は鎮めています。しかし、ふとした拍子に出てしまうことはあります。

どうせ同じように「武器」を取るならば、誰かの為に、必要に駆られて取ってやりたいものです。