久しぶりに喧騒のなかに出てみた。
しかし、イヤホンはつけている。
哲学青年です。
いつもうちに籠りきりで、あまりに生活に張りがないので知らない町(県内)に行ってきました。
成果は雪に足をとられ、靴に水が染み、腹を壊した以外には特別なにもありませんでした。
二度と外には出ません。はぁ。
書かないとフォロワーに怒られる
強迫観念すごいな。
哲学青年です。
あるアクシデントに見舞われ、母親がダウンしてしまいました。こうなると、私と父で家を回すことが必要なわけですが…。そのためには話したりなんなりしなければならない…。
ご存知の通り、父は「ダメ人間」なので私はあまり好きではありませんでしたが、あれですね、
「話さないからわからない」
「わからないから好きになれない」
ただそれだけだったとやっと理解できました。(勿論手放しに好きにはなれませんが。)
でも、それでも、一ミリでもいいやつだと思えたのは、よかったと思います。
筋少の布教もできたし、世の中捨てたものじゃないですね(笑)。
へそ天!
ことごとく個と個
生きることも死ぬことも、それについて考えるときも、病めるときも健やかなるときも全てに置いて人は孤独であり、個によって成り立つのである。
個によって成り立たないのであればそれは人間の尊厳を責任を捨てたただの土人形だ。
不定期掲載「旅する哲学者」
よく晴れた春の午後。彼はウキウキとした足取りで歩いていた。
彼の名は
「ジャン=ジャック・ルソー」。
社会契約論や「エーミール」で知られた哲学者である。
彼はあることの下見の為に、この公園へと来ていた。そのあることは主に朝、行われるのだが、彼はそれが大好きだった。
懸命な読者諸兄ならば、ルソーと来たらこれと言うものが浮かんでいることだろう。
そうそれだ。「露出」だ。
彼は転生した今でも、その悪癖が直せなかった。
前日、前々日の露出を思い出しながら彼はニタニタと笑って新たな露出ポイントを見つけようとしていた。
しかし、彼は突然足を止め、カバンから何かを取り出した。そしてその取り出したアルミ箔で覆われている帽子様の物体を頭にかぶったのだ。
そして、
「毒電波だなぁ。やめろぉ。俺についてくるなぁ。集団でストーカーする気だなぁ。やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ…」
と言いながらしゃがみこんでしまったのだ。
どうやら、こちらの妄想癖の方も治らなかったようだ。
このあと彼は、精神科病棟のスタッフによって山間の施設へと連れ戻されたという。
その後の彼を知るものはいない…。
いろいろな死に方を考える
<十人のインディアンのリズムで>
世の中色々死にかたあるよ
首吊り、割腹、飛び降り、焼身
どれが一番良い死にかたか
一つずつ見ていこう
首吊りこいつは結構キツイ
首折れるまでは地獄の苦しみ
死んだあとも迷惑かける
絶対やめましょう
割腹こいつは死に様汚い
介錯人も必要になる
臓物出して死にたくなけりゃ
絶対やめましょう
飛び降りこいつは周りを巻き込む
お前の死体がトラウマになる
地面のシミはマジでやばい
絶対やめとけよ
焼身こいつは一番苦しい
下手すりゃ火事を招いてしまう
死ぬなら迷惑周りにかけるな
絶対やめとけよ
いろんな死にかたいろんな迷惑
<アーアー>(コーラス)
総じて自殺は絶対迷惑
<アーアー>
あなたの一瞬誰かの一生
<アーアー>
絶対死ぬんじゃなーい!
<絶対死ぬんじゃなーい!>
道徳的に許されない
だからどうした。
突然ですが、道徳って誰が決めたんでしょうか?
と言うか、道徳を守る理由ってなんでしょうか?
まぁ、大体の方は、いけないことだからやらない、世間体的な問題もあるみたいな理由でやらないんでしょう。
でも、なぜいけないのかについては答えられる人は少ないように思います。
しかし…かのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは乱暴なりにも答えを出しました。
「道徳に反することがいけない理由?そんなものは簡単だ!正しいと信じていれば自分が気持ちいいからだ。」※意訳です
我々はほんとに正しい事をしていますか?
大衆の、多数派の意見に流されて、黒を白にしてませんか?
自慰行為のために道徳的な正論を言ってませんか?
貴方の言葉は本当に正しさを説いた言葉ですか?
勿論、私自身の言葉も正しい事などありません。ですが、私の前に立ち、大衆のカサを着て論戦を挑むものの言葉もまた正しい事などないのです。
なぜならば、道徳は人それぞれだから。
興奮するものが違うように
異性のタイプが違うように
好きな趣味が違うように
好むものが違うように、気持ちよくなれるものも違うんですね。
たとえ私の道徳観に賛成するものがいなくとも、正しいと信じたものを大事にしたいものですね。
ニーチェ大松「一般的な道徳に当てはまらなかったら往々にして犯罪者だぞ」
ファッキューマッツ。